休息はディナーのあとで

サガエメラルドビヨンド
シウ綱




「それじゃまた明日、朝になったらここに全員集合ってことで」
「今日は丸一日連戦続きで、さすがにちょっと疲れたわ。おやすみなさい、ツナノリ。シウグナスも。ちゃんと身体を休めるようにね」
 そう言って、ひらひらと小さく手を振り、自分達の与えられた部屋へと戻っていくボーニーとフォルミナの二人を、綱紀もまた穏やかに笑って見送る。場所はキャピトルシティ、その高級ホテルのメインロビーだった。
 謎の三角形を追い求める彼女達の、パズルピースをかき集めていくかのような不思議な旅の途中。上官への経過報告のため、かの警官コンビは故郷である自分達の世界へと一時的に帰還していた。
 フォルミナがぼやいたとおり、この大都市に紛れ込んだ宇宙人らの企てた事件を阻止する過程で、今日という丸一日中、一行は何度も激しい戦闘を行うこととなった。想定よりもずいぶんと手こずる交戦のさなか、特にチームの勝利に大きく貢献したのは、隣に立つシウグナスだ。彼の不死の血を用いて活路を拓く、その反則とも呼べる技の冴えは今日もまた健在で、一行は闇の王の恩恵をすぐ傍らで受けることにより、これといった大きな怪我もなく、無事に全ての危機を乗り越えたのだった。
 が、しかし。己の体内を絶えず巡る血の多くを消耗した吸血鬼が一体どうなるか、早々にこの場を去ってしまった彼女達は、どうやら本当に何も知らないようである。先ほどから不気味なほどに沈黙を保つ闇統べる王の、こちらの身体を貫通するかのような突き刺す視線を一身に浴びて、綱紀は無意識に己の首をさすった。まだ真新しい包帯が巻かれたその下に、本当は何が隠されているのか。その秘密を正しく共有しているのは自分とシウグナス、ただ二人のみである。
「……それじゃあ、自分達も移動しましょうか」
 フォルミナ達が手配してくれた部屋のキーは、すでに綱紀の着ている服のポケットの中にある。ロビーの奥、壁際の開閉ボタンを押してエレベーターへと乗り込む男性二人組が、しかしこれからどこで、どんな行為に耽るのか。
 華美な装飾で見渡す天井までもが明るく照らされた、ホテルのロビーに居るその誰もが、真実を予想することは叶わないだろう、決して。




***




「ちょっと待っ、たんま! お願い、やって、お利口さんやか、ら……!」
 昇りエレベーターを出て、空調の効く廊下の通路を渡り、そうしてようやく辿り着いたホテルの一室に入るなり、シウグナスは綱紀を背後から強襲した。手に持っていた部屋のシリンダーキーを手頃なテーブルの上に置こうと、不用意に彼に背中を晒したのが完全に悪手だった。飛び掛かるように後ろから羽交締めにされ、あっという間に主導権を握られた失態に、綱紀は堪らず舌打ちする。
 ただ一秒でも待つこと、それすら苦痛なのだろう。丁寧に巻かれた包帯の上からでもお構いなしに、シウグナスは飢えた獰猛な獣のごとく、綱紀の首元を強く噛んで離さない。鈍い痛みが身体にずしりとのしかかるのをじかに感じながら、それでも綱紀は自身に残された最後の力を振り絞って、なんとか廊下へと繋がるドアに内側からロックをかけた。カチン、と錠が閉じる音がして、これで最悪の事態は避けられただろうと安堵する。と同時に、今度は力任せに上着を引かれて、剥き出しにされた肩口に激しい痛みが走った。
「ぐっ、あっ……!」
 人間には決して持ち得ない鋭い牙を素肌に躊躇なく突き立てられ、綱紀の口から短い悲鳴が零れる。こちらの皮膚を奥深くまで齧るその力には、ひとかけらの遠慮も無い。これでは連合国の人々が好むホラー映画を通り越して、まるでスプラッター映画だ。内心そう毒づいて、綱紀は背後の男に非難の声を上げようとする。が、今度は突然、無防備なうなじに濡れた舌の這う感触がして、吐こうとした息はたまらず、逆に気道へと飲み込んでしまう。
「シウグナスさ、っ、んっ、あっ……!」
 ここまで乱暴な仕打ちを受けておきながら、けれども彼によって己の血を外へと吸い出されるたび、ぞくぞくと身体中に露骨な快感が押し寄せてくる。高級ホテルである以上、この部屋も遮音性には優れているだろうが、それにしたってドアたった一枚の前で発して良い声とは到底思えない。綱紀は咄嗟に空いた片手で自らの口を覆うが、そのあいだもただひたすら貪欲に続く吸血行為により、すでに全身の力も満足に入らなくなってきていた。がくがくと震える両脚は非常に心許なく、仕方がなしに眼前の扉へ残った方の手を付いてもたれかかれば、しかし逃がれる退路を放棄した獲物相手に、捕食者はなおも執拗に追い縋った。
 より安定した体勢で血を摂取したいのだろう。ドアにしなだれかかり、必死に声を押し殺す綱紀をまるで優しく抱きしめるかのように、シウグナスは二人分の体をぴったりと密着させる。そして収まりの良い体位はそのままに、次の瞬間、吸血鬼は無慈悲にも食事である人間の首の付け根に犬歯を深々と突き刺すと、ひときわ強い力でなかの血液をじゅう、と吸い上げた。限りなく近く密着した状態のまま、肌の至るところを好きに犯されて、ついに綱紀は白旗を上げるように、力無くずるずるとその場にしゃがみ込んでしまう。
「もう、頼むから、っ、ほんまに勘弁して、くれ……!」
 まるで身体全体が猛毒に蝕まれているかのようだ。どこかしこもが、ただ燃えるように熱い。くすぶるように籠った息を気怠げに吐いて、降参の思いから体を完全に投げ打った綱紀を、シウグナスがひどく愉しげに見下ろしているのが気配だけで分かる。やがて乱雑な手付きで体の向きをひっくり返され、ドアを背にして彼の方を見やれば、こちらを真っ直ぐに射抜くその瞳が、爛々と紅く光っているのが知れた。そこに普段の彼の、あらゆる闇を束ねる王を務めるに足る、涼しげな理知の色はどこにも見当たらない。代わりにあるのは生物として最低限必要な欲求、ただそれのみである。
 なるほど、吸血鬼という種族は食欲と性欲、その二つを同時に満たせる利便さを持つらしい。そんなふうに妙に感心して、ずるずると床に腰を下ろした綱紀の体の上に、シウグナスはなおも馬乗りになり、嬉々としてさらにその距離を詰めてくる。とはいえ、それが共に戦う仲間を救わんがため、彼自身の内に流れる高貴な血を多く消耗したゆえの、無我夢中による生存本能なのだと思うと、これ以上しつこく咎める気にもなれない。
 不意に、端麗な貌が吐息のかかる位置にまで近付いて来て、こちらの閉じた唇を伸ばした舌で割るように、必死にこじ開けようとする。そのいかにも性急な接吻を、綱紀はかすかに笑う。そのまま、無理やり引き出された己の舌を強く吸われたのち、なお敏感なそこを、ひどく名残惜しげにつるつるとした前歯の先端が甘えるようになぞり、思わずくぐもった声が漏れる。が、ぴちゃぴちゃと続く淫靡な水音と、あっという間に咥内全部に広がる鉄の味に、どうやら綱紀自身もついには酔ってしまったらしい。まともな思考を頭の隅に追いやって、ただ繰り返し原始的に求め合う、その熱く蕩けるようなキスが、たまらなく心地良い。
 焦れた様子でこちらのパンツを早急に下へとずらそうとする手のひらは、汗で少し湿っている。その所作からは彼を闇の王たらしめる溢れんばかりの余裕が、まったくと言っていいほど感じられない。かといって、そんな姿を可愛らしいと無性に感じ入る自分もまた、相当に気持ちがはやってしまって、どうやら限界のようだった。
(……せやけどまあ、一つだけ聞いて欲しい文句があるとすれば)
 酸素不足により脳がぼんやりとするなか、綱紀はふいに自身の右手を部屋の奥へと向かって伸ばし、小さく溜息を零すように言う。
「……あかん、こんなにベッドを恋しく思うなんて、オレの人生のなかでも初めてや」
 皺一つ無いほど綺麗にセットされた寝台は、もうすでに、この双眸のすぐそこにまで入ってきている。だというのに、己が眷属の瞳に映る視線の先、その全てを独占したがる闇の王に阻まれて、綱紀の抱いたささやかな望みは結局、彼の腹が完全に満たされるその瞬間まで、ついぞ叶うことはなかった。














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