ゼノブレイド3
レックスとシュルク
パチン、と火花が弾ける音で目が覚めた。
火の番を申し出たのは自分からだったというのに、つかの間といえど微睡んでいた失態をレックスは恥じる。慌てて神経を尖らせ周囲の気配を探れば、幸いなことに差し迫るような脅威は感知されない。はあ、と安堵による溜息を一つばかり吐いて、レックスは反射的に持ち上げた腰を再び地面へと下ろした。数刻前と同じく、辺りは変わらず、真空のような静寂に包まれたままだ。
夜間、魔物を遠ざけるため焚べた火は、まだ十分な明るさを保っている。ちりちりとまるで踊るように揺らめく紅い光の先端を眺めていれば、それは否応にも、未だ彼方へと置き去りにしたままの美しき日々を連想させた。
しかし、今は幸せな感傷に浸りたい気分ではなかった。軽くかぶりを振り、冷たく澄んだ真新しい空気を両の肺いっぱいに吸う。ふいに空を仰ぎ見れば、そこには手を伸ばせば触れられそうな近しい距離に、満天が爛々と輝いている。だが逡巡ののち、レックスは未練から自ら離れるようにして、貴石のごとく煌めく光の軌跡から目を逸らした。
今この瞬間、己が護るべきは眩いばかりの天からの賜り物ではない。僅か視線の先、柔らかな焔を挟んだ向こう側で、灯りを背にして眠る男、ただの一人だけだ。
たった二人分の火に照らされ、男の金の麦穂のような髪が暗闇にぼんやりと浮かび上がる。初めて邂逅したときには、まだ顔の輪郭に沿って丁寧に切り揃えられていたそれも、今や収穫期を逃し畑に生えるだけ生やしたかのような、すっかり荒み果てた長さとなった。だが人目に立つ、そのおおよそ手入れの行き届かぬ長髪を、自分は不思議なほどに気に入っていた。
男は野営で休む際、断じて自身の左手を頭の下には置かない。枕代わりに敷くのは必ず、機械仕掛けの義手のある右手の側だと決めていた。
万が一、起きて利き手が痺れていては、兵としての役割が務まらなくなるだろう。根から生真面目な男が気まぐれに口にした、そのちっとも笑えない冗談を、しかしレックスはあれからまだ一度たりとも茶化せていない。事実、急な敵襲において男がヘマをした回数など、片手で足りるほどにしか無いのだ。
己の伏せた左目と同じこと。自分達は失い、欠落した多くの物全てを、言い訳には出来ない。してはならないのだと知っている。意志を挫かれうつむき嘆く、その一秒の時間すら惜しい。だからこそ、互いを補完し合うその行為に、二人は一切の妥協をしないと取り決めたのだ。
男はいつも、その高い背丈と同じほど大きな赤い剣を、他の何よりもすぐ傍らに置き、そうしてようやく眠る。まるでこの不安定な世界で一番に信を置いているのは、その剣だとでも言いたげに。
得物の出し入れに自由の利く己と違って、男の武器は真から常に携える不便があった。それでも、その気になりさえすれば、ありとあらゆるものを断ち斬れるであろうかの剣に、この身がどれだけ救われたか知れない。
よりにもよって、自分が剣(ブレイド)に嫉妬するなど、これ以上不毛なことがあるだろうか。己の思考の馬鹿馬鹿しさに、思わずレックスは苦笑を漏らした。齢だけは完全な大人となった今の自身に対し、それはあまりにまだ若く、熟れぬ果実を敢えて食むように、苦い感情であったからだ。
レックスは改めて、目の前の男の姿を見遣った。ここからでは表情すら汲み取れぬその後背を、まるで片の眼に焼き付けるかのように収める。
とはいえ、男から寄せられる全幅の信頼を、己は既に強く確信していた。そしてその切なる情に報いることは、この命一つを賭しても余り有る価値がある。
炎が突風に当てられ、ひときわ大きく揺らめく。そこでようやく、レックスは自身の寂寞な心の内を、この男ばかりが満たしていることに気が付いた。あれほどまでに親しんだ火花の弾ける音すら、今だけは積もる記憶の遠い場所に、栞のようにそっと挟み込まれている。
ふいに、レックスは眼前で眠る男の寝顔を覗き見たくて堪らない気持ちになった。
この第三世界における、旅の出発点。神に裂かれた円を持ち寄り、継ぎ足し合った男。
かけがえの無いかの男の名を、シュルクと言った。
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